無題

一人暮らし男子大学生です。

父から子へ、そして父へ

 息子からみた親父は、尊敬の対象であり超えるべき壁、そんな話をすることがある。自分たちを育てたという点で両親を共に尊敬するが、同性の親というところで、親父というものは何か特別に思える。

 

 我が家の親父は、朝、ゴミ捨てをせずに会社へ行き、帰ってくれば夕飯が出てくるまで座って待ち、その結果、日々お袋との喧嘩が絶えない、とても尊敬の対象とは言い難い人物だ。

 理屈っぽいくせに、気になった物はすぐに買ってしまう勢い任せなところがある。野球の練習を手伝いにくれば人一倍でしゃばったり、遊園地では家族で一番はしゃいだり。そのくせ、頭だけはいいから、親戚周りにはいい顔をする。

 自分勝手で、八方美人で、亭主関白。そんな親父が、嫌いだ。

 

 

 私は高校時代に、精神面を原因とした体調不良による不登校を経験している。この話は色々なところでしているから詳細は割愛する。とにかく、学校に行けず苦しかった。お袋や先生には休んでもいいと言われたが、私の胸の内までは理解してはもらえなかった。当然、親父も自分の気持ちまでを理解することはできないと思っていた。

 

 親父が不定期で服用していた薬があった。私は長らくその薬を鼻炎の薬だと思っていた。しかし、それは向精神薬だった。

 

 つまり、親父は私と同じだった。

 

 思えば私が幼い頃、親父が1ヶ月程度家にいた時期があった。その頃の親父は頻繁に海外出張をしていたから、私はその期間を出張休暇だと思っていた。実際のところ、それは私の不登校期間と同じように、親父が自宅療養をしていた期間だったのだけど。

 親父はそんな経験をしつつ、私を高校に通わせてくれていた。今は薬を服用していないが、服用しなくなったのもここ数年の話だ。精神の不調は一朝一夕でどうにかなるものではなく長く付き合っていくものであることを、親父は私よりも理解していた。そして、自らの経験を用いて私の胸の内を丁寧に咀嚼し、理解してくれた。親父と面と向かってじっくり話をしたのはこの時が初めてだったかもしれない。

 

 苦しかった高校時代を何とか乗り越えた私は、都内の大学へ進学した。大学に進学するということは学費がかかる。そして、私には下に2人兄弟がいる。その学費もかかる。故に、奨学金を借りる必要があった。

 奨学金の書類には親の収入を書く欄がある。ここで、初めて私は親父の年収を知った。大手の技術屋というところ、そしてお袋が専業主婦というところから、親父は通常の会社員より稼いでいることを想定していたが、その想定の少し上を行った。子供3人を育てるのでなんとかギリギリな稼ぎだとは思うが、その中でしっかりと育てているというのは凄いと思う。

 親父はタバコを吸うし、酒を嗜む。タバコの銘柄は詳しくないので分からないが、親父がよく飲んでいる酒が金麦であることは分かる。そして、私も下手に大学生をしていないので、金麦がどんな酒であるかも分かる。自分勝手な親父と思っていたが、私達子供のために日々の楽しみを妥協していたのである。

 いつか、せめてもの親孝行として、両親に美味しいお酒をプレゼントしたいものだ。

 

 

 このように、身体も精神も大人に近づく中で、徐々に親父と関わる時間が増え、幼い頃には分からなかった親父の側面が見えるようになった。

 親父は親父なりの苦労をしているし、何より人生の先輩だ。そして、自分を成人間際まで育てた人物の一人でもある。人間として、圧倒的に偉大だ。そして、私にとって一番身近な尊敬対象だ。

 どんなにクソな親父であろうと、「親」父である以上、まだ息「子」でしかない私には越えられない壁だ。人間を一人、成熟するまで育てる。途轍もなく大変な事だ。

 

 親父を越える。息子の私には、まだ親父の真似事しかできない。親子だから似ているのではない。尊敬しているから、真似をする。だから似る。それだけ。

 理屈っぽいのに、勢い任せ。自分勝手で八方美人。そのくせ、無駄に頭がよくて取り繕ってしまうから、すぐに疲れてしまう。親父の真似事になっているから、どうしても良くないところまで似てしまうところは難点だ。

 

 

 今は親父の真似事しかできないが、いつか自分が「親父」になるときには、親父を越えた「親父」でいたい。

 親父を尊敬し真似していくことで、より良い「親父」を目指すとともに、親父とは違う、親父を越えた「親父」になるために抵抗していく。

 

 

 私から親父へのささやかな抵抗。

 それは、禁煙だ。