無題

一人暮らし男子大学生です。

9月17日

 大学の講義が始まって一週間。

 夏休み気分は抜けきっていないが、どうにか乗り切ることができたようだ。

 

 週末という響きは良い。

 夏休みという響きも嫌いではなかったが、長期休暇というのはどうにも取り扱いが難しいものだ。休暇中の予定や目標が立てづらく、どうにも行方不明になってしまう。今年はこの情勢もあって色々な予定が頓挫してしまい、その分調子が狂ってしまった。

 金曜日の講義が終わってから始まるこの「週末」という時間は、短いからこそ予定を立てやすく予測もしやすい。よって、取り扱いが容易くて好きだ。ただひたすら寝るもよし。趣味の勉強に使うもよし。次の一週間という手ごろな目標があるのも良いところかもしれない。何にせよ、週末独特の特別感はたまらないものがある。

 

 さて、今回の週末は久々に勉強に充てることにする。

 最近、読書をする体力がようやく戻ってきたように感じる。この1年半で積んでしまった数冊を読み進めるのもいいが、折角なら新しい本に出会いたいところだ。

 とはいえ、近所には本屋がない。どこかに良い本屋は無いものか。東京なのだから、良き本屋の一つや二つは見つかってほしい。

 

 そんなこんなで、講義を終えた私は丸善丸の内本店に向かうことにした。

 都内で独り暮らしを始めて間もなく1年半になるが、ここの本屋に足を運んだのは初めてだ。私は、本屋を目的に出かけるならクソデカ本屋を目指すのが良いと思っている人間だ。都内にクソデカ本屋を求めた時に一番行きやすかった本屋が、たまたまここだった。

 しかし、空気が濃い本屋だ。密度が高い。東京らしい本屋だ。

 狭めの感覚で並ぶ棚には足元から頭の少し上の高さまでびっちりと本が詰められ、どうにも圧迫感というか窮屈さというか、そんな雰囲気を感じる。オフィス街ということもありスーツ姿の人間が多かったのも、その窮屈さの要因かもしれない。

 窮屈さがあるとどうにも視野が狭まってしまい、目線の高さの棚しか見えなくなってしまうことに気付く。本屋に行くという体験の中でそれは損なことに感じる。出会える本に出会えないということは大きな損失だと思ってしまうからだ。

 反対に、こういった慣れない雰囲気の本屋だからこそ、これまでは手に取らなかった本を手に取ることができたのかもしれないとも感じる。そう思うと、出会えなかった本には何があってもやっぱり出会えないのかもしれないな。人生みたいだ。

 本屋は、行くだけで色々な気付きがあって面白い。一人で行くのも良いが、友人や恋人と行くのも新たな発見があって面白いと思う。恋人、いないんですけどね。

 

 電子の時代になりつつあるが、本屋での体験は本屋でしかできないと思っている。直観に従って脚を動かし、数多の書籍から自分だけの良書を見つける。その瞬間は何物にも代え難く、尊い

 散歩の途中や仕事帰り、ふとした時に本屋に立ち寄ってみると、思わぬ出会いがあるかもしれない。そんな体験をしてみてほしい。

 手軽に物が手に入る時代だからこそ少しだけ遠回りしてみる。

 そうすることで、日々は少しずつ面白くなっていくはずだ。

 

 

時間

 お久しぶりです。

 

 夏季休暇期間が明け、今週から大学の講義が再開しました。相も変わらずオンラインでの講義。一人、東京の端っこにあるワンルームに引きこもり、何も変わらない毎日を過ごしています。

 常に一人でいると、この時間が永遠に続くかのように感じられます。一人でいること、学生であること、生きていること。何もなく、平穏で、少しばかり味気ないこの時間。いつかこの環境が変わってしまうということは分かっているのに、永遠に続くように感じてしまうのは、終わりが見えていないからなのだろうなと思います。

 いつかは大学でも卒業を迎え、家族を持ち、というところは順調にいかなかったとしても、いずれは僕も死ぬでしょう。不幸な事故で突然に死んでしまうかもしれないし、何らかの病気である程度予告されて死ぬかもしれない。どちらにせよ、僕がこうやってキーボードを叩いている間も、僕の命は削られ続けているのでしょう。

 どれぐらい残っているのか分からない自分の時間をどのように使っていけばよいのか、今は何も思いつきません。自分に費やすべきなのか、それとも他人に注いでいくべきなのか。少しでもより良い人生を送るために、何が必要で何を大切にしたいのか。

 深く考えたところで、本当に欲しいものほど手に入らないし、流れに身を任せるしかないのかもしれませんが。

 

 「終わり」は案外身近に存在する、というのをここ数年で感じています。

 この半年から1年の間にも、その「終わり」を感じることになるのかもしれません。

 今回は、日々悩み苦しんでいる事柄に関連する出来事があったので、少しばかり書き記してみました。数か月後、自分がどのように変化しているのか楽しみです。

経過報告

 実家を出て東京の端っこに住み始め、1年とちょっとが経ちました。適当に振り返りながら、ちょっとした感想でも書いていこうと思います。

 

 

 もう何度目だよって話かなと思いますが、高校時代は不登校だったんですよ。高2の秋に不登校になって、年明けくらいから少しずつ復帰して、めちゃくちゃギリギリで卒業したんですよね。高3なんて、卒業するまでで朝からマトモに登校できた日は片手で数えるくらいしか無かったかなと。お陰様で補修三昧。受験勉強どころじゃなかった。幸いなことに国語だけは人より得意だったので、なんとか今の大学に進学できたんですよね。

 3月初旬にギリギリ進学が決まって、そこから家探して。数ヶ月前まで絶賛登校復帰中だった人間は突然東京で一人暮らしすることになるんすよ。

 で、ご存知のコロナ。からのオンライン授業。この時は正直、進学はできたけど登校できるか不安で仕方なかった。だからオンラインで助かったよね。学校行かなくていいんだもん。

 友人はそれなりに作れた。この時はそこそこ楽しい生活を送れてたと思う。高校で出来なかったクソガキっぽいことが出来たのが楽しかったんだと思う。

 

 そこからなんやかんやあって春夏と過ぎて、そのうち体調に不安もなくなってきて、バイトにも慣れてきた。色んな悩み事が落ち着いたからか、自分を省みる余裕が出来た。

 そしたら、自分が自分の中で行方不明になっちゃった。何かをしたいってものがなければ、何やっても心が動かない。やりたいこと、やるべきことがなくなっちゃって、人生に飽きを感じ始めたのがこの辺りだったような気がする。

 この時期、頻繁に飯に誘ってくれた友人がいるのだけど、そいつ曰く「放っといたら死にそうだった」らしい。死んでもいいかなって思ったときは多々あった。でも、人間はそう簡単に死ねないと思うよ。毎回思うもん。

 

 自分が自分で行方不明になっちゃって、訳が分からなくなった。だけど、友人と接する中で自分の適正が見えてきていたから、最低限それを伸ばす努力はしようと思った。

 周りを見て適度に任せてみようとか、上手くサボろうとか、そういうことを真面目に考えてみた。そうしたら、自分だけじゃ生み出せない物が出てくるようになった。他人が生み出した物だから気持ち悪いポイントはあるんだけど、それがちょっと面白いなと思った。

 少しだけ、ほんの少しだけ、歩く方向が見えてきた。まぁ、自分が行方不明なのは変わらないんだけどね。

 

 年末、実家に帰ってみた。親父の頭髪が薄くなった以外、あまり変わってなくて安心した。地元の友人にも会った。顔つき身体つきに変化はあれど、あまり変わってなかった。少し悲しくなった。見えてる景色が違うんだなって思って、ちょっと寂しくなった。

 自分で言うのもアレだけど、この一年でめちゃくちゃ変わったと思う。これはめちゃくちゃ良いことだと思う。なりたい自分に変化してるから、成長できてるなって感じて嬉しくなる。でも、嬉しくなると共に、ちょっと寂しくなるんだよね。周囲と自分が違う時間流で生きてるみたいに感じるから。

 考えてみればそれはそうなんだよね。周囲に誰かがいるときよりも独りでいる時の方が体感時間は長い。オンライン授業で一人暮らしの私が感じる時間っていうものは長かったんだと考えられるよね。さて、時間ってなんなんだろうね。

 

 春休み、何もやる気が出なかった。自分が行方不明なままだった。体調は崩れるし、何もやる気が出なかった。人に誘われて新しい取り組みに手を出してみた。でも、どうにも気力が出ない。手応えもない。どう改善していいかも分からない。そのうち、頓挫した。

 大学に入ってから何かしらの取り組みを潰すのは2回目だったと思う。完全に自分の力不足。1回目の詳細は省くけど、この時は先輩とか同期とか、外野に騒がれすぎて潰さざるをえなかった。外野を黙らせる力が足りなかった。単純な権力ってことじゃなくて、周りを納得させられる企画力とか実行力とかが足りなかった。

 この時もそう。実行力という面は、多少は実際に活動をしていたので進歩はあった。だけど、手応えがなかったり、納得のいく物が作れなかったりしたのは、企画力が足りないからだと思った。知識が足りないのは勿論そうだと思う。ただ、自分だけじゃ限界があるってことも何となく見えてた。自分だけで生み出した物はあまり面白くない。それにそもそも、ゼロから何かを生み出すのは苦手だ。

 

 桜が咲いた。大学が去年中止になった2年生の入学式をやってくれた。対面授業にも行けるようになった。状況が少し変わったお陰か、わりと大きめだった蟠りがあっさり無くなったりした。

 蟠りがあった人間、この人間には出会えて良かったと思っている反面、出会わなきゃよかったとも思ってる。不思議な人間だ。ただ、今まで出会った人間の中で、背中を預けられるのは唯一この人間だけだと思う。

 自分のスタンスは周りから一歩引いて俯瞰する感じで、だから仲間とか友達とかを自分よりも前に置いておきたい。感覚として背中側に人間を立たせることはしたくない。怖くて任せられない。ただ、何故かこの人間にだけは任せられる。不思議だ。

 彼ないし彼女への感情は色々と変化するのだけど、これだけは変わらないなと思う。同じペース、同じ熱量で動けそうな人間だと思うからだろうか。今は何か特別な感情があったりするわけではないのだけど、大切にはしたいとは思っている。

 2年前の今頃は確か、マンションの屋上に登ってみたりとか色々追い詰められてた時期だったと思う。あの時死なずに、ズルズルと2年も生きてみた。色々あった。死んどけば良かったなって思うことも沢山あった。それでもとりあえず一日だけ生きてみた。それを繰り返してみた。そしたら、こんなに面白い出会いがあった。

 人間関係って難しくて、時にはすごく苦しくなることもある。けど、それも含めて面白い。そういう経験をさせてくれることに感謝。お陰でしぶとく生きていけてる。他の友人たちにも感謝してもしきれないけど、この人間は特にだなと思う。とりあえず生きてみた過去の自分にも感謝したい。それよりなにより、この人間が生きてて、そして出会ってくれたことに感謝したい。

 書く手が止まらなくなりそうなのと、どこまで書いていいものか分からないので、そろそろ止まらなきゃなと思っているのでこの辺りで。

 

 

 緊急事態宣言が出て、そして延長して、今はまた独りオンライン授業の生活をしている。

 どこにいても独りで頭が壊れそうになることも多々ある。そこはまた上手いことやってかないといけないと思う。何かしら掴んでちょっと進歩できたらいいなとも思う。でも、相変わらず自分自身が行方不明なままで、何をしたいか、何をすべきか、分からなくなることが多い。

 周りの人間から褒められることがそこそこあったりするけど、何で褒められてるのか分からない。当たり前のことをやっているだけだし、そもそも私は自分自身が行方不明になってるキョムキョムの実の虚無人間なんだけどな。虚無人間って、ちょっと強そう。仮面被ってそうだね。

 それはそれとしてね。自分がどうしたいか、どうなりたいか、そして何をもって幸せと言えるのか。そんなものは自分で見つけるしかないよね。だってそんなん人それぞれじゃんか。俺をどうこうしたいっていう人間が仮に出てきたら殴り飛ばすね。別におめーに何かされなくても俺の人生だもんね!俺が決めるもんね!ってね。

 まだしばらく行方不明は続きそうだし、情勢はこんなだから心身ともに不安定なのは続きそうだけども、とりあえず一日ずつ生きてみようかなとは思う。

 俺の人生が順風満帆にいったら、それはそれで面白くないし困っちゃう。今くらいの少し苦しい方が丁度良い。でも、正直なところを言えば、もう少し楽な人生が良いんだけどね。

 

 

 さてと。こうやって物思いに耽る時は海に来るんだけど、暖かくなってきたとはいえ流石に夜は冷えるな。そろそろ帰るとしますか……では、また。

父から子へ、そして父へ

 息子からみた親父は、尊敬の対象であり超えるべき壁、そんな話をすることがある。自分たちを育てたという点で両親を共に尊敬するが、同性の親というところで、親父というものは何か特別に思える。

 

 我が家の親父は、朝、ゴミ捨てをせずに会社へ行き、帰ってくれば夕飯が出てくるまで座って待ち、その結果、日々お袋との喧嘩が絶えない、とても尊敬の対象とは言い難い人物だ。

 理屈っぽいくせに、気になった物はすぐに買ってしまう勢い任せなところがある。野球の練習を手伝いにくれば人一倍でしゃばったり、遊園地では家族で一番はしゃいだり。そのくせ、頭だけはいいから、親戚周りにはいい顔をする。

 自分勝手で、八方美人で、亭主関白。そんな親父が、嫌いだ。

 

 

 私は高校時代に、精神面を原因とした体調不良による不登校を経験している。この話は色々なところでしているから詳細は割愛する。とにかく、学校に行けず苦しかった。お袋や先生には休んでもいいと言われたが、私の胸の内までは理解してはもらえなかった。当然、親父も自分の気持ちまでを理解することはできないと思っていた。

 

 親父が不定期で服用していた薬があった。私は長らくその薬を鼻炎の薬だと思っていた。しかし、それは向精神薬だった。

 

 つまり、親父は私と同じだった。

 

 思えば私が幼い頃、親父が1ヶ月程度家にいた時期があった。その頃の親父は頻繁に海外出張をしていたから、私はその期間を出張休暇だと思っていた。実際のところ、それは私の不登校期間と同じように、親父が自宅療養をしていた期間だったのだけど。

 親父はそんな経験をしつつ、私を高校に通わせてくれていた。今は薬を服用していないが、服用しなくなったのもここ数年の話だ。精神の不調は一朝一夕でどうにかなるものではなく長く付き合っていくものであることを、親父は私よりも理解していた。そして、自らの経験を用いて私の胸の内を丁寧に咀嚼し、理解してくれた。親父と面と向かってじっくり話をしたのはこの時が初めてだったかもしれない。

 

 苦しかった高校時代を何とか乗り越えた私は、都内の大学へ進学した。大学に進学するということは学費がかかる。そして、私には下に2人兄弟がいる。その学費もかかる。故に、奨学金を借りる必要があった。

 奨学金の書類には親の収入を書く欄がある。ここで、初めて私は親父の年収を知った。大手の技術屋というところ、そしてお袋が専業主婦というところから、親父は通常の会社員より稼いでいることを想定していたが、その想定の少し上を行った。子供3人を育てるのでなんとかギリギリな稼ぎだとは思うが、その中でしっかりと育てているというのは凄いと思う。

 親父はタバコを吸うし、酒を嗜む。タバコの銘柄は詳しくないので分からないが、親父がよく飲んでいる酒が金麦であることは分かる。そして、私も下手に大学生をしていないので、金麦がどんな酒であるかも分かる。自分勝手な親父と思っていたが、私達子供のために日々の楽しみを妥協していたのである。

 いつか、せめてもの親孝行として、両親に美味しいお酒をプレゼントしたいものだ。

 

 

 このように、身体も精神も大人に近づく中で、徐々に親父と関わる時間が増え、幼い頃には分からなかった親父の側面が見えるようになった。

 親父は親父なりの苦労をしているし、何より人生の先輩だ。そして、自分を成人間際まで育てた人物の一人でもある。人間として、圧倒的に偉大だ。そして、私にとって一番身近な尊敬対象だ。

 どんなにクソな親父であろうと、「親」父である以上、まだ息「子」でしかない私には越えられない壁だ。人間を一人、成熟するまで育てる。途轍もなく大変な事だ。

 

 親父を越える。息子の私には、まだ親父の真似事しかできない。親子だから似ているのではない。尊敬しているから、真似をする。だから似る。それだけ。

 理屈っぽいのに、勢い任せ。自分勝手で八方美人。そのくせ、無駄に頭がよくて取り繕ってしまうから、すぐに疲れてしまう。親父の真似事になっているから、どうしても良くないところまで似てしまうところは難点だ。

 

 

 今は親父の真似事しかできないが、いつか自分が「親父」になるときには、親父を越えた「親父」でいたい。

 親父を尊敬し真似していくことで、より良い「親父」を目指すとともに、親父とは違う、親父を越えた「親父」になるために抵抗していく。

 

 

 私から親父へのささやかな抵抗。

 それは、禁煙だ。

人生はクソ楽しいゲームだという話

 人生は楽しい。楽しすぎる。

 そりゃ、人間関係がうまくいかなかったり、仕事で失敗したり、色々な要因でメンタルを崩してしまったりと、辛いことも多いのが人生。ただ、それを含めて人生はクソ楽しい。そんな話をしていきたい。久々に物書きをするし、例によって書き殴っているので支離滅裂な文章になることをご了承いただきたい。

 

 私が人生を楽しく感じられる要因として、人生をゲームとして捉えられようになったことが挙げられる。勉強や運動は自分のレベリングだし、あらゆる課題や障害はクエストになる。どう人生を攻略していくか日々考えるのはとても楽しい。そして、うまく事が運べば当然それも楽しい。うまくいかなかったとしても、一筋縄ではいかない人生にワクワクが止まらなくなる。停滞を許してくれない俺の人生はとても楽しい。

 

 ロマンにあふれた事象に挑戦しようとするとき、自分ではどうにもできないほど強大な課題に臨むとき、直接手が届かなくて攻略が困難な障害を乗り越えようとするとき、そんなときほどこのワクワクは止まらなくなる。当然、どうにもならないかもしれないと思って調子を崩して攻略を諦めようとしてしまうことはある。しかし、これらは欲しいものを手に入れるためには攻略していかなければならない。攻略できれば、俺の人生はよりよく、そして更に楽しいものになることは分かっている。だから、諦めかけても挑戦したくなる。

 強大で凶悪な何かに挑戦するとき、色々な攻略法を考える。落ち着いて探りをいれてみるのが良いのか、とりあえず直接殴ってみる脳筋戦法が良いのか、それともジリジリと壁を削る長期戦を仕掛けるのが良いのか。人生はやり直しがきかないというが、それは同じ事象に対するやり直しがきかないだけで、似たような事象は自ら飛び込んでいけばいくらでも巡ってくる。今回の攻略法が効かなかったとしても自分にとって大きな糧になる。似たような事象が巡ってきた時にこれまでの反省を生かして確実に殴り切ることができれば、脳汁はドバドバ出るし、人生はさらに楽しくなる。

 人生は死にゲーだ。失敗して強くなる。死ぬ、といっても肉体的に死ぬことはないけれど。それでも、メンタルが死ぬということはある。メンタルが死んでいる時間はいわゆるロード時間なのだろう。ソシャゲであれば、ロード時間が長ければ長いほど大きなアップデートやイベントがやってくる。まぁ、たまにバグって無限ロードになりかけることはあるけれども。人生はブランコという言葉があるが、たぶんその通りだ。たぶん。

 

 人生というゲーム、市販のあらゆるゲームと違い攻略難易度が高すぎる。ランダム要素が強かったり、単純に規模が大きすぎたり。当然ながら攻略方法は確立されていない。そんな「人生」、一人で攻略することは極めて困難である。ゆえに、会社とか国家とかの大規模なクランが存在する。個人単位でもそれは当然で、誰かに頼らないと生きていけない。もちろん、何かに挑戦するときもだ。

 完璧なステータスを持った人間なんていない。例えば自分は、状況分析とか企画とか、いわゆる攻略方法を考えることに長けた人間だ(と思い込んでいる)、とか。しかし、私は実際に武器を扱いきるスキルは持ち合わせていない。いかに完璧な攻略方法を考えたとしても、実現できなければ攻略はできない。私の周りを見てみると、攻略方法を考えることは苦手だが武器の扱いに長けた人間とか、知識に長け武器の扱いにも精通しており攻略をより綺麗にデザインできる人間とか、私に足りない要素を補うことができる人間が多く存在する。自分に足りない要素を補うことができる人間は、探すと意外にもこんなに近くにいるものだ。

 あとはどうやって懐柔して巻き込んでいくか。ここがとても難しい。塾で生徒を集中させるときのように、相手がうまく動いてくれるツボを探っていかなければならない。そうやって懐に入っていくことで信頼を稼ぐこともできる。(と言いつつも、実際はそこまで考えていないし、私はただのお人よしで生真面目なだけだったりする。)大学1年生の間はこの時間だった。ちょっと欲が出そうになって上手くいかなかったものもあるが、結果としてはより良くなった。やはり、強く惹かれ確実に巻き込んでいきたいと感じる人間ほど攻略は難しい。楽しませてくれるじゃんよ。

 

 話はそれるが、私は作品に興味がない。いかにそれを作り上げどうやって世にブチ込んでいくのか、それを見る方が楽しいからだ。人生というゲームにおいて、世に名が知れ渡っている所謂トップランカーというものが存在する。彼らが生み出す作品は社会現象を起こすほど面白いものばかりだ。彼らがいかにそれを生みだしてきたか、そういう攻略法を勉強していく。

 人生の確実な攻略法は確立されていない。それは当然だ。だが、うまく攻略できている人間とうまくいっていない人間は存在する。うまい人間を観察し、攻略法を盗む。並の生活をしていては思いつかないメチャクチャに面白い攻略法がそこに眠っていたりする。まぁ、並の発想をしないということはグレーゾーンな発想もあるわけで。そこはうまいこと取捨選択していかなければならないけれど。

 こういう考え方をしていると、娯楽において人を気持ちよくさせるポイントを探ってしまったりするから純粋に作品を楽しむことができない。人によっては損に感じるかもしれない。人生、そういう素直に受け取るのも楽しいとは思う。けど、私には向いてない。

 

 さてさて、4月に入って私も大学2年生になる。1年時に準備し続けたものを解放し、挑戦を重ねていく勝負の年だ。3年生になったら就活を視野に入れなければならなくなるし、今年の挑戦次第で進路に幅を持たせていきたい。

 私は堅実に歩みを進める真面目な人間なようで、ロマンが大好きな人間だ。人生はもっと楽しくなる。俺が恐れずにロマンを求める限りは。とか、クサいことも言ってみちゃう。

 このブログを立ち上げたのは高2の冬だったと思う。不登校になった高校球児がなんとなくで始めたものだった。それから間もなく3年。あの後も苦しいことは沢山あったけれど、今なんとか生きている。高3でもまともに朝から学校に行ったということは殆どなかったが、大学1年生では一人暮らしをやりきった。その間、沢山の人に助けられた。人生を攻略した果てには、お世話になった人たちになにかお返しができるといいなと考えている。

 

もっと色んな意見が聞きたい!という前記事感想戦な話

先日のBeyondthefieldについての記事、

多くの方に見ていただけたようで……

とてもありがたいことです。感謝します。

 

 

 

さて、記事を書いたあとにBeyondthefield(以下Btf)についての記事を幾つか見つけたので読ませていただきました。

やはり、ゲーム開始時のチュートリアルは必要!という意見は多かったです。

 

再度Youtubeの動画を見直してみましたが、確かに説明不足。ということは先の記事を書いた時点での僕も確認不足です。面目ない。

しかし、これが「ゲーム開始時チュートリアルの実装」にまっすぐ結びつくかと言われれば別で、選択肢としては「動画の改良」や「HELPの改良」などがあげられます。(運営のいうチュートリアルの改善ってここだと思う……)

 

他媒体に飛ばすことについて僕自身は全く「悪いこと」と捉えておらず、これを快く思わない人がいることに驚きました。

僕にとって、あれはレクチャー本についてくる参考動画のURLやQRコードと同じようなものだと思っていました。これはなにも問題ない筈なので。多分。

 

Discordについては、僕は個人開発だからこその利点だと思っていたのですがこれも快くないらしく。

ブックレシピなどは現状Discord以外には見受けられないですが、情報が欲しい人が集まるところに質の高い情報が集まるのは必然かと。運営がつくっても、ユーザー主体でつくっても同じことになるかと思います。

 

運営への問い合わせなら、TwitterのDMでも公式サイトからのメールでもできますし、Discordでしかできないわけではなく。

それと、Twitterを使わない・使いたくない人もメールを使わない・使いたくない人もいるわけで、全てをゲーム内で完結させるというのは無理ではないでしょうか。使えるものは使う。これでいいのでは。

でも、使わない・使いたくない人は存在するから、ゲーム内での説明を充実させるのは賛成。対戦時しか対戦のHELPみれないのはかなり微妙だと思う。

 

あと、BtfのチャットはTwitterなのでこれに関しては推奨(強制)してるともいえるかも。

悪いことじゃないよ。

便利なものは使うべきだからね。

まぁ、オンラインサロンはFacebookを使ってたりするしそれと変わらないんじゃないかな。これは暴論か。

 

 

 

 

さてさて。

先の記事にも書いた通り、僕はBtfをカードゲームとして評価しました。しかし、Btf4大「ない」を必要とする人達はBtfスマホアプリとして評価していると感じます。

視点の違いが生まれているのは明らかで、だからこそ理解しづらいのは当然です。

また、教養……もとい知識や経験の違いというのも難しく、先の記事にある中田敦彦さんの動画を観ていたかどうかとか、何かの本を読んだことがあるとかの教養がないと頭の中のルートが狭まってしまって考えが理解されなかったりします。

 

当たり前で必要、と考えるものって意外と必要ではなかったりするんですよ。

常識を疑え、ってね。

 

 

前提として共有すべき視点、教養が欠落していると話というのは理解できないし、されません。

だからこそアウトプットをしてほしい。

アウトプットすれば、少なくとも1人くらいは刺激されるはず。

刺激された人がさらにアウトプットすれば、彼また彼女の視点・教養を吸収できる。

かくしてアウトプットは最大のインプットになる、僕はそう考えています。

そしてインプットすれば更なるアウトプットが生まれ……いやぁ、無限ループってこわいなー。

 

その点では、多くの人に記事を見ていただけて良かったなーと思います。

どれだけ刺激できたかは分かりませんが、せめて1人くらいはと思いたい……

 

とにもかくにも、もっともっと色んな意見を聞いてみたい訳です。アウトプットしましょう。僕が吸収します。

いわば、僕はセルです。


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なんか本題の方が短くなっちゃったなー、という気はしないでもないですが本日はここまで。

 

ところで、チュートリアル見たあとに対戦動画とか配信とかで戦術的な動きを勉強してから対人戦に行く人ってあんまりいないのかな?基本ルールはいいけど、戦術的な説明がないって喚くのは甘えでしょ。まぁどうでもいいのだけど。

 

そういえば、動画の改良の他に音量調節できるようにしてください!

 

 

気が向いたらまた。ではー

 

 

Beyondthefieldは「クソゲー」なのか

Beyondthefieldは「クソゲー

 

とあるDCGブロガーがそんなことを書いていた。以前から信頼を置いていた方なだけにそれが非常に悲しく、悔しかった。

 

私は思う。

そんな簡単にクソゲー認定していいのか。

それは気付きと発想力を求められるDTCGゲーマーとして恥ずかしくないのか。

それはシャフリングベビーに「お前は他の子と同じようにハイハイしないからクソだ」と言っているのと同じではないのか。

それは結局ただの思考停止ではないのか。

(※シャフリングベビーとは、座ったままお尻で移動する赤ちゃんのこと。ハイハイをしないまま、つかまり立ちをするようになることもある。)

 

 

    

 

そして果たして、

Beyondthefieldは「クソゲー

なのだろうか、と。

 

 

 

 

Beyondthefieldとは、

10月25日に正式リリースされた新作TCG



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「終わらない楽しみを提供する」を目的に、カードを全て無料配布する(今後もその予定らしい)など画期的な手法でDTCG業界に一石を投じようとしている個人開発DTCGである。

 

いきなりだが先述したブロガーが「クソ」と評したこのTCGの特徴を挙げていこう。

  1.  チュートリアルがない
  2. CPU戦がない
  3. ランク戦がない
  4. 対戦時の持ち時間がない

……ないないづくしではないか。

曰く、これらは「あって当たり前」とのことだが果たしてそうだろうか。

 

 

Beyondthefieldは当初アナログゲームとして開発していたそうだ。

思えば、mtgなどをはじめとするTCGにはチュートリアルがなければCPU戦もなく、ランク戦もなければ待ち時間もない。

それは当たり前だ。

よってカードゲームであるDCGにそれらがある、ということがそもそもカードゲームとして異端なのではないか。

これが私の考えの前提であることを理解しておいてほしい。

 

 

さて、これから上記のBtf4大「ない」について一つずつ述べていこう。

 

まず一つ目、チュートリアルがない」

これについてはゲーム内にチュートリアルがないだけであって、ルール解説はYoutubeに上がっている。しかも、ログインした最初の画面の右上、Twitterマークの横の!マークからそのリンクに飛べる。まったく説明がないわけではないのだ。

 

さて、私はチュートリアル(または説明書)は必要ないと考えている。

理由は至極簡単で、「かったるいから」である。最低限の説明さえあれば、あとは動かせば分かるの精神だ。

チュートリアルもいわば最低限の説明であり、それにゲーム開始までの時間を取られるのであれば動画にしておいても変わらないのではないだろうか。

さらにyoutubeに上げることの利点として、興味を持った人がyoutubeでプレイ動画などを検索するときに、検索に引っかけることができる。

余談だが、私はチュートリアルがない代わりにゲーム内のリンク先である公式チャンネルに対戦動画を充実させてほしいと思っている。これについては、オリエンタルラジオ中田敦彦さんが似たようなことを言っていたのでこちらを観てほしい↓

 

 

2つ目、「CPU戦がない」

まずはこれを読んでほしい。

Beyondthefield、特に松本リーダーは「人と人の繋がり」を大切にしている印象がある。

友人とデッキ調整をしながら対戦する、そんな古き良きTCGのイメージがあるのだろう。

 

よって構想上CPU戦は必要ではないのだ。

あとは技術的な問題もあるだろう。

必要ないのであれば最初から無理して実装する必要はなく、理にかなっていると言える。

 

 

3つ目、「ランク戦がない」

そもそもランク戦の役割とはなんだろうか。

私は、課金意欲を煽るシステムと考える。

 

ランクが上がれば上がるほど強い相手、そして資産の多い相手とぶつかる。必然的に自分のカードプールを広げなければ勝てなくなる。よって、課金によってカードを買う。

 

しかし、全てのカードが無料配布され、今後も無料で追加するというBeyondthefieldにおいて課金はない。したがって、ランク戦が存在する必要も、意義も無いのだ。

 

また、気軽にできるTCGを目指していると考えられるこのゲームに置いて、ランクというのは枷になると考えられる。ランクがないからこそ気軽に遊べ、色々なデッキが生まれる。それはまたカードゲームの面白いところではないだろうか。

それでもユーザーに明確な強弱をつけたいのであれば大会を開けばいいと思うのだが。

 

 

4つ目、「対戦の待ち時間がない」

正直、何故にコレが不満なのか分からない。

そんなに時間がないなら、そもそもゲームをしなければいいのでは?とも思う。

 

さて、チュートリアルといえど解説動画といえどゲーム内では最低限のルール説明しかされない。従って、細かいテキストなどは逐一確認するし、してもよい。

また「人と人との繋がり」という観点でいうと、教えながら対戦するといった状況は充分にありえる。待ち時間があってはそれらができず、ゲームの方向性としては致命的。

よって、この観点から持ち時間は不要だ。

 

そもそもカードゲームには持ち時間がない。

競技性を求める大会は例外だが、基本的に必要ではない。ランク戦がないことからもBeyondthefieldの競技性というのはまだ薄く、この観点からも持ち時間は不要なのだ。

他のカードゲームもカスタムで持ち時間の有り無しを設定できればいいと思うのだが……もしかして、できたりする?

 

 

 

 

 

ここまでBtf4大「ない」について考えてみた。私はDCGゲーマーであると同時に、しがないDMPであるのでカードゲームという枠組みから切り込んで話をしてみた。支離滅裂すぎて、それは違うだろ!このハゲ!というのがあるかもしれないがこれはあくまで私の考え。どうか理解して頂きたい。

 

そしておまけとして少しだけ、このゲームがルームマッチング制であることについて話してみようと思う。

 

Beyondthefieldはオートマッチングではなく、ルームマッチング制だ。

とはいえ根本は変わらない。顔の見えない相手であることは変わらないのだから、そんなに怯える必要はない。むしろメリットすらある。強い人がいればそれを避けることもできるし、逆に挑戦することもできる。ついでにマナーの悪い相手などの戦いたくない相手も避けられる。

一昔前は主流であったらしいが、オートマッチング世代である私にとってこのシステムは画期的だと感じた。

タピオカが流行したように、ルームマッチング制もまた回り回って主流になるのではないか……信じるか信じないかは貴方次第。

 

 

 

 

Beyondthefieldについて考えれば考えるほど、これがどれほど強大な力を持っているかを実感する。

とにかく目的に対して合理的。

そして無料で提供することなどで急速に信用を得ている。汚い話だが、今の時代は信用がお金に変わる。もう少しユーザー規模が拡大した未来でクラウドファンディングなんてしようものなら……末恐ろしい。

 

DCGでありDCGではないTCG、そんなBeyondthefieldは今後のDTCG業界に革命を起こす。私はそう信じている。